文章を書くのは苦手だし、筋道立った思考だって苦痛だ。
それでも、自分が書かなければと思ったマンガの感想を記しておきます。

2016年4月18日月曜日

地上より彼方へ 竹良実「地の底の天上」「辺獄のシュヴェスタ」(小学館)

 デビュー作でいきなり完璧な作品を描いてしまうマンガ家がいる。例えば「三文未来の家庭訪問」(2009)の庄司創がそうだし、「地の底の天上」(2014)を描いた竹良実もまたそういう作家の一人である。
 中編「地の底の天上」は、紙幣の原版彫金師と贋作師である二人の男女が生きた様を描いた作品である。贋札を題材にした創作物として真っ先に思い出すのは、ロベール・ブレッソンの映画「ラルジャン」だが、「地の底の天上」もまたそれに劣らぬ水準の傑作だと言っても言い過ぎにはならないだろう。この作品で語られる内容の気高さには、読んでいて思わず頭が下がってくる。何度読み返しても、読むたびにその大きさに圧倒されてしまう。孤独を糊代にして繋がる人間の魂を描いた作品として、自分はこれ以上のものに出会ったことがない。

 中世の西欧で流通していた贋札という反社会的なものを介して、名も顔も知らない二人の男女がお互いの精巧な技術から芸術を見出し、その背後にいる作者の存在を意識する。地の底とも言える暗く冷たい作業場で自分が習得した技術を、この相手なら理解してくれるに違いないと。生まれも立場も違う見知らぬ二人が、相手がどのような姿をしてどのような人間なのかもわからないまま、ただその紙幣を通してお互いの存在を思い続け、支えとするのである。彼らは現実においては社会から疎外された弱い存在だが、紙幣とその贋札を媒介とし、実は自分が決して一人ではないことを知る。自分のいびつな魂には、対となるべきものが存在するのだと。
 彼らがその生で世に誇れる唯一の存在証明は贋札の技術であり、例えどれだけ今生において孤独だとしても、紙幣の作成へ没頭している間だけは天上の境地まで駈け上がることが出来る。
 ひょっとしたら、彼らはこの地上で対面して会う必要すらないのかもしれない。空想上の天上において、二人の魂は生身の肉体以上に強く繋がることが出来るのだから。とはいえ、この作品のクライマックスは、実際に二人がこの地上において出会う場面なのである。
 馬車の窓越しに握られる二人の肥厚した皮膚に覆われた荒れた手と手が、相手が自分の不完全な魂のかたわれであることをお互いに認識させる。単なる手のまじわりだが、それがこれほどまでに雄弁なものになるだなんて。例えどんなにエロチックな濡れ場であろうとも、このシークエンス以上に二人の繋がりを深く感じさせることは出来ないだろう。
 貨幣といういかにも俗な媒体に、それとはかけ離れた崇高な魂を仮託して、地上から天の彼方へまで繋がる見事な奏でが聞こえてくる。二人の魂が結びついてゆくみちすじが、この上なく荘厳な調べとなって、読む者の胸を響かせるのだ

 現在連載中の「辺獄のシュヴェスタ」(2015‐)もまた、中世の西欧を舞台にした歴史ものである。「地の底の天上」と同じように、歴史の余白には、今では名も残らぬ人たちによってつむがれた知られざる営みがあった。作者は何も知らない読者に、ある少女の密かな戦いの真実をひもといてくれる。

 魔女狩りで家族を失った少女エラは、修練女として収監された修道院の中で修道会の総長への復讐を誓う。復讐を完遂するために、どれほど凄惨な状況に身が落魄しようとも、己の中の魂を相手に明け渡そうとしないエラの気位の高さには感服する。だが、エラには人間離れした胆力があり、時に賢者のような洞察を持ち、時に鬼神のような選択を採るため、いかにも人間的な弱さを披歴してくれる彼女の仲間達とは違い、読む側からの単純な感情移入を許さない。
 「辺獄のシュヴェスタ」からは、高い水準での倫理性のようなものが感じられる。倫理と言っても、それは単純さで世界を無神経に切り分けてしまうような意味での倫理ではない。聞こえのいい正論や建前をふりかざしたりもしない。むごたらしい暴力と常に隣り合わせであるこの作品世界の前では、そのような無神経さは通用しないのである。
 考えることなしに世に流通されている倫理を盲目的に信じてしまえば、真の意味での倫理からは遠のいていく。例えばエラが放り込まれた修道院で信じられているキリスト教で言うならば、真に倫理的な信徒がキリスト教が説く倫理について真摯に考えれば考える程、その信徒はその強い倫理性ゆえにキリスト教の教義を根幹から切り崩し、内側から食い破ってしまうことだろう。
 このマンガの中でのキリスト教は道具立て以上のものではないかもしれないが、エラ自身もまた己の倫理と格闘をしている。素朴に信仰されている倫理に目を曇らされないように、同時に倫理を足枷だとして投げ捨てないように、そしてどちらにも与せず、彼女は己の中の真実とどのように折り合いをつけて行くのか。読者に出来ることと言えば、彼女の行く末を案じながら、作者の語りに耳をそばだてることだけではあるが。


「辺獄のシュヴェスタ」1巻より
屈辱的な貞操の検査をされようと、彼女は彼女自身の王として君臨し続ける



0 件のコメント:

コメントを投稿