庄司創「白馬のお嫁さん」(2014-2016)は、近未来の日本で男子高校生たちが嫁探しに奮闘する婚活マンガである。
遺伝子改造こそされてはいるが性的には異性愛者の男性の清隆は、3巻で自身が抱えている問題が解消されたことで突如として婚活仲間の学への恋愛感情を自分が持っていることに気付く。学は外見こそ可愛らしい女性に近いが、人工的に遺伝子を組み換えられて特殊な生殖器を持つ「産む男」であり、恋愛対象は異性の女性のみである(「産む男」の性的指向は様々であり、同姓である男性を好きになるタイプも存在する)。性別だけでなく、学の理想のタイプからも自分がかけ離れていることから、清隆はこの恋愛から降りることを選択し、大切な友人である学の幸福を支えることもまた己の幸福であると強引に自分を納得させようとする。
一方、密かに清隆の自分への気持ちを知った学は、ヴァーチャルルームで仮想の清隆の胸に抱かれてみても恋愛感情を一切感じることが出来ないことを改めて認識する。清隆へ感じている学の親愛の情は、あくまで友情であって恋愛感情ではないのだ。ただ、ロボット注射のアシストがあれば、自分の性的指向を変化させ、同姓である清隆を好きになることも出来るかもしれないと考える。
「でも そこまでするべきなんだろうか」(「白馬のお嫁さん」3巻186頁)
それをしてしまったら、学は清隆に限らず他の人間だって同じように受け入れてしまえることを意味する。学は自分が理想とするような女性からアプローチをかけられている最中でもあるのだが、清隆を拒否して彼女を受け入れることで抱く罪悪感だって、薬を利用してしまえば消すことが出来るのだ。女性的な外見を持つ学に対して、素直に異性へ向けるのと近い恋愛感情を抱ける清隆と較べ、自分自身に対しても相手に対してもより難しい選択を迫られる学の煩悶が、スリリングなまでにこちらに伝わってくる。学は清隆の気持ちを受け入れることが出来るんだろうか?
愛と聞くと、ジョン・カサヴェテスや増村保造の映画作品で描かれるような激烈なものがまず頭に浮かぶが、作中「産む男」の一人である主馬のエピソードで描かれているように、恋愛至上主義ではなく、恋愛から自由になる心の在り方だってある。相手に胸を一度もときめかせることがないまま、それでもその人を生涯の伴侶として受け入れることだって出来るのだ。
人は恋をすると、それまで客観的に見れていた筈の世界が、好きになった相手一色に染まってしまい、それ以外のものが一切目に入らなくなってしまう。そういう時、人は周囲を顧みず相手のために自分が持つ全てをかなぐり捨てて愛に殉ずることだって出来る。一般的にそういう純愛は尊いものとされるが、じゃあ恋から始まっていない関係や、打算や他者への配慮が混じった「不純」な恋愛は、紛い物なのだろうか? 自分は「真実の愛」のようなもっともらしい言葉の方にこそ迷信を感じる。未来の技術のアシストがあれば、脳内の化学物質の分泌を薬で調整することによって、嫌いな相手へすら愛情を感じることが可能になるかもしれない。人が自分自身の意思で自由に選択出来ていると思いこんでいるものの大半は、実際は脳内物質の働きや社会制度によって大きく左右されるものでしかないのだろう。不倫や重婚だって、実際はそれ自体が悪なのではなく、今の社会制度でたまたま悪いことだと規定されているだけでしかない。人が疑いなく自明のものとして受け入れているほとんどのことは、たまたまそうであっただけなのだ。
3巻の終盤、学が恋愛感情を抱いていない清隆に対してどのような決断を下すのかが描かれる。これまで清隆とシェアハウスで暮らす「産む男」たちが繰り広げてきた恋愛の騒動で得られた知識や教訓も学に影響を与えているのかもしれないし、学が清隆に告白する「不安やつらさを含んだ複雑な好きの美しさ」の下りも一つの答えになっているのかもしれない。ただ、WOLVESによって「産む男」プロジェクトが誕生した経緯の真相等と較べると、清隆の気持ちを受け入れるに到る学の心情の変化の部分は、上手く表現し切れているとは思えない。その飛躍は理屈を超えたものなのかもしれないが、物語展開の盛り上がりの勢いで煙に巻かれてしまっているようにも感じる。
それでもなお、これは読まれるべき果敢な作品であることに間違いない。強引な言い方かもしれないが、ジェンダーを取り扱った他の作品が辿り付けていない高みへまで、このマンガは行きつけていると思う。
3巻の単行本のカバー裏には、病院内で緊張した面持ちで見守る清隆の傍らで、瞼を閉じたままの学がロボット注射を受けている場面が描かれている(おそらく同性への性的指向を持つことが出来る化学物質を分泌させるナノマシンのようなものが注入されているのではないだろうか)。個室へ案内され、薬が効き始めてからは清隆の顔を見つめ続けるよう学は看護師から指示を受ける。そっと目を開いた学は、清隆とお互いの顔を見つめ合う。学の表情は病院の窓から射す陽光のように柔らかく、穏やかだ。二人の表情に微かな戸惑いは残っているものの、悪い不安のようなものは見当たらない。
本編に含まれていないのが悔やまれるくらい、この場面の美しさには震えてしまう。未来の科学技術で変容した性や愛のありようが、グロテスクにでもディストピアのようにでもなく、ごく自然に肯定的なものとして描かれていて、畏敬の念すら抱いてしまう。こんな風にテクノロジーで作られる愛の形があっていいし、未来の世界には実際にありえて欲しい。「産む男」が存在する世界の方が、自分が今生きる「産まない男」しかいないこの世界よりも、ずっと良さそうに見える。きっとグレッグ・イーガンにだって、村田沙耶香にだって、こんな未来のありようは幻視出来ないだろう。二人が生きる世界が羨ましい。
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「白馬のお嫁さん」3巻より ロボット注射を受ける学とそれを見守る清隆 |